横丁の隠居、ぼそぼそとひとりごちる。
こまごまと忙しく…
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明日は弘前まで日帰りし、一日二日置いて岩手の西和賀町まで行ってきて、それ以外の日は連日原稿書きとなり、12月13日には生意気にも「スライド上映&トークショー」なんてのを開くことにしたものだから、それに向けて、プロジェクターで見せる写真のセレクトとパワーポイントへの組み込みなど…、つまり、ばたばたばたばたと何かしらの作業をしているうちに12月も半ばになってしまうってわけです。ま、適度に忙しいのはありがたいことだけどね。

それが終わって一段落すると、今年も残すところ半月ほど。
暮れには例によってクルマで上京する予定になっているので、それが一年の最後のお楽しみだけど、それはともかくとして、一年の最後の半月で、きっと、ボクは深いため息をついているのだろうなあ。
世の中が不景気だと言ったって、良くも悪くも、ボクらの商売にはあまり関係ないと思っていた。
ところが、年の途中あたりから、「おやおや?」と思って見てみると、全然仕事が少ない。
ああ、そうなんだ。世の中、“まんべんなく”不景気なんだ…と。

気持ちの切り替えの早いワタクシは、「よし、今年は捨てよう! 来年に賭けよう!」…と。
今からジタバタしてもしょうがないからね、雌伏の想いで今年の残りを過ごし、来年こそはハツラツと張り切って過ごすのだ。

では皆さん、よいお年を!
(いくらなんでも、早すぎるか)



遠き夢
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毎晩毎晩、いろんな夢を見ながら寝ているはずだ。
だけど、起きてしまうとそれらのほとんどはまるで覚えていない。
まれに、目覚めの直前に見ていた夢を、起きてからも忘れずにいることがある。
そういう場合は大抵、何かしらココロにひっかかりのある、いわゆる“イヤな夢”だ。
(最高にステキな夢だったこともあるけど。むふふん。そのときは、あまりにステキすぎて、目覚めてからも夢見心地だった)

今朝の夢も、“イヤな夢”のパターンだった。
夢の中で、ボクは外国にいる。
そろそろ帰国しなければならないのだけど、実はまだ帰りの航空券すら手配していなかった。
油断すると飛行機に乗りそびれてしまい、日本に帰れなくなってしまうのだ。
ボクは、おおいに焦っている。

それからほどなくして目が覚めた。
日本に帰れないかもしれないと焦っていた(ほんとうに不安だったんだから)のが夢だったと分かり、心底ホッとしたのだ。

夢占い的に言うと、この夢のキーポイントは、“飛行機”だろう。“飛行機に乗りそびれる”というのがキーポイントだ。
夢占いでは、飛行機は“自由へのあこがれ”を意味しているのだという。
ということは、飛行機に乗りそびれそうになる夢というのは、自分が憧れている自由が遠のいてしまう不安…という意味になるのだろうか。
うーん、深層心理的に、今の自分にあてはまっていなくもないなあ。
いろいろ買いたいものがあるのに、財源難で手が出ないジレンマも抱えているし…。

いやあ、実生活が冴えないと、夢まで暗くなっちゃうってことか。
頑張って、いい夢を見られるようにしなくっちゃね。
(あんまりステキな夢を見すぎると、目覚めたときに却ってガッカリすることもあるんだけどね)


季節の移ろい
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夏の暑い日などは、扇風機がないととてもしのげない。
やがて、扇風機が必要でなくなるときがくる。
それから、少し重ね着をしたくらいではまだ肌寒く、我慢しきれずストーブに頼りたくなる時期がくる。
ただ、そのころはまだ、石油ストーブの火力をもっとも弱くしてもいささか熱すぎ、しまわずにいた扇風機で風をおこして室内の空気をかき回す。
それでちょうどいい塩梅の室温加減になる。
そうしているうちに、しだいに、扇風機を回さなくてもよくなってくる。

してみると、仕事部屋の中にいるだけでも、季節の移ろいというものを、ひしひしと感じるものだなあ。
今週は“取材週間”。明日から、山形、秋田、岩手と回り、最終は24日の青森県岩木山麓。
仕事もさることながら、晩秋のみちのく路ドライブを、大いに楽しんでこよう。


あなたまかせの旅だから
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2001年に始まった旅の宿の取材シリーズも、今月でめでたく連載50回目を迎えた。
(バックナンバーをPDFで見られるサイトにリンクしておきました)
あれからもう8年になるんだね。よく続いたもんだなあ。
それで、連載50回を記念して、今まで取り上げた宿の何軒かをピックアップして再訪してみようという特集企画の話が出た。

最終的に再訪先は7軒と決まり、それを今月後半にかけてボクが一人で全部回る。
今回の取材は全部日帰りだから、かかっても7日間。一日2カ所回れるところもあるから、のべ5日ほどの取材日程だ。
取材日時については、ボクのほうで先方と交渉して決める。
元来がボクは朝寝坊だし、片道3時間くらいかかる取材先もあるから、原則的に、「午後イチくらいでいかがでしょうか」と、打診してみるのである。

おおむね、こちらのやりやすいように取材日程を組むことが出来たけれども、一軒、「うちは朝食のスタイルを変えたので、できればその時間に取材に入ってほしい」という申し出があった。
もちろん、取材先の意向を尊重するのが最優先だから、躊躇なく、「わかりました。それではその時間にお邪魔させていただきます」と、応える。

とすると、その日は暗いうちに起きて家を出なければならないな。
その代わり、昼前には仕事が終わって、のんびり寄り道ドライブを楽しみながら帰って来られる。

なんでもかんでも自分で決めて、決めた通りに行動するのもいいけど、相手方の都合などにも合わせて、その制約の中でいかに楽しむか、そんなことを思案してみるのも、まんざらでもなかったりする。


ヌードを撮ってみたいけど…
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写真をやっている人間として、一度は本気でヌード作品を撮ってみたいという気持ちはあるのだ。
特に、風景写真的にも雰囲気のいい場所を見つけると、「ああ、こんな場所でヌードが撮れたらどんなに素敵だろう」…と、イメージも膨らむ。
ところがだ、日本では、野外でヌードを撮るという行為は、社会から“目の仇”扱いされがちな状況にある。
今まさにニュースになっているところでは、ヌード写真の大家・篠山紀信が、路上や公園でヌード撮影したとして公然わいせつの容疑で捜索を受けている。
先頃は、宮城県内で、ヌード撮影会を主催した人物がモデルとともにやはり公然わいせつ容疑で逮捕されている。
主催者は、ほとんど人目につかないだろうという場所を選んだつもりだったが、それでも目撃した人物がいて、その通報で警察が駆けつける騒ぎになったのだ。

真面目一途の人たちからすれば、“違法は違法”ということになるのだろうけど、“写真寄り”の人間からすると、なんだか、“魔女狩り”にでも遭っているような戦々恐々とした気分にさせられる。
野外でヌード写真を撮るということ(たまたま数人の人の目に触れてしまう程度でも)は、そんなにいけないことなの? そんなにインモラルな、反社会的なことなの?

“スペンサー・チュニック”という人物名でネット検索をかけてみてほしいのだけど、この人は“集団ヌード作品”で有名なカメラマン。
世界中のいたるところで、何百人という人間を全裸にして集団ヌード写真を撮っている。
それは市街地のど真ん中であったり、公共の施設であったり。
ボランティアとして参加している一般人のヌードモデルたちも、なんとあっけらかんと、ハダカになることを楽しんでいることか!

日本ではさすがにそこまでは無理だろうけど(なぜ無理なのかも考えてみたいところだけど)、普通にヌード写真を撮ろうとする行為まで“異端者扱い”するような傾向は、ぜひとも改まってほしいものだ。